どんな学生時代を過ごしましたか?
大学から始めた「ダンス」に打ち込みました。きっかけは高校時代に軽音学部の友人がやっていたダンスを見て「めちゃくちゃカッコいいな!」と思ったこと。それからダンスについて調べ始めると、種類によって発祥が違ったり、動きにも意味があったりと、その奥深さにハマっていき、絶対に大学ではダンスをやろうと決めていたんです。実際に4年間はブレイクダンスにのめり込んだのですが、本当に面白かったです。ブレイクダンスは表現の幅がすごく広くて。自分で技を考えたりもします。
サークルには経験者もたくさんいるなかで、自分は大学からのスタートでした。「どうしたら自分らしさを出せるのか?」に向き合いながら、仲間と一緒に練習を重ねて、結果的に講演の際に重要な役割でもある振付師も経験できました。
自分のダンススキルを高める以外でも、マネージャーとしてミーティングを仕切ったり、後輩育成をしたりもしていました。大学の後半では、東京六大学ストリートダンス連盟で、ダンサーの就活支援のお手伝いも行っていました。
就活軸と揚羽に決めた理由は?
就活の時期になって将来を考えたときに、「40歳になった時、自分のお店を持ちたい」と漠然と思って、関連するものだといいなと考えていました。
またダンスの経験から、「モノづくりをする人がカッコいいな」と思っていたので広告業界やアパレル業界から見始め、徐々に広告業界にシフトしていったわけですが……なぜかを考えると、自分のなかに「影響力を持って発信している人への憧れ」があったんです。自己分析を繰り返していくなかで「クリエイティブを通して、世の中にインパクトを与える経験を重ねるなかで、自分の指標づくりをしたい」と考えるようになっていきました。そうなるためにはどうすべきかを考え、最終的には以下の軸にまとまりました。
①営業からクリエイティブまで幅広く関わることができ、多様なキャリア選択が可能
②自由にチャレンジができること。チャレンジを受け入れてくれること
③チームで動く仕事であること。その関係性が良好であること
揚羽に決めた理由は、自分の軸に高い基準で合っていることはありましたが、「真摯に正直に私のことを受け止めてくれた」と体感したのも大きかったです。面談では自分の考え方・得た知識に対して、正直に「それは私は間違っていると思うよ」。と、自分の経験から新たな視点をくださる先輩もいたんです。懐柔するというのではなく、あくまで真摯に向き合ってくれたのが、チームを重視したい自分からするとぜひ一緒に働きたいと感じました。
直近の思い入れある仕事とその理由を教えてください
2年目の半ばから関わったとあるクライアントの周年イベント案件が無事終わったということもあり、印象に残っています。
この案件は、ターゲットが約1万2000人。若手から年次の高い方まで、さまざまなバックグラウンドを持つ人がいて、その人たちにどうしたらエンゲージメント高く参加してもらうかを考える必要がありました。詳しくはお伝えできないのですが、複雑な条件、風土もあり苦戦するポイントが数多くありました。制作物も、周年ロゴ、各種記念品、社内向けパンフレット、Webサイト、イベント、イベントで流す映像まで、複合的で多岐にわたり企画から制作まで進行自体かなり大変でした。
この案件に思い入れがある理由は、自分が初めて「プロデューサーらしい関わり方」ができたから。
まだまだな部分もあると思いますが、この案件のような関わり方ができていくと、プロデューサーになれるかも、というビジョンが明確に見えた気がします。プロジェクトで、「自分がプロジェクトの中心にいて、主体となって考えたり判断したり」と、まさに動かしている感があったんです。ダンス関連でイベントにかかわる機会も多かったので、自分の強みと感じていた部分を活かせたことも、やりがいにつながっている部分だと思います。
自分ができるようになりたいと思っている「プロデュース」ができる人に近づいている、成長できている実感がありました。