天才でいるよりも大切なのは、自分にとっての天職を見つけること/漫画家 かっぴーさんの〈クリ活〉

天才でいるよりも大切なのは、自分にとっての天職を見つけること/漫画家 かっぴーさんの〈クリ活〉

現在好評発売中の『クリ活2 クリエイターの就活本~アートディレクション・デザイン編』。今回はその紙面から、漫画家のかっぴーさんのインタビュー内容を掲載します。アートディレクターに憧れ、実際に広告会社でのアートディレクターでの経験を得て、漫画家に転職をしたかっぴーさん。いまや『左ききのエレン』を描く人気漫画家となったかっぴーさんに、そのキャリアについてお話を伺いました。(マスナビ編集部)

写真:かっぴーさん
かっぴーさんなつやすみ
1985年神奈川県生まれ。なつやすみ代表。武蔵野美術大学を卒業後、東急エージェンシーのアートディレクターとして働くが、自分が天才ではないと気づき挫折。その後、面白法人カヤックのプランナーに転職後、趣味で描いた漫画『フェイスブックポリス』をnoteに掲載し大きな話題となる。2016 年に漫画家として独立。自身の実体験を活かしてシリアスからギャグまで、様々な語り口で共感を呼ぶ漫画を量産している。代表作『左ききのエレン』は「cakes」や「少年ジャンプ+」で好評連載中。
【 目次 】
アートディレクターを目指した学生時代
アートディレクターの「天才」にはなれなかった
「漫画家のかっぴー」になった瞬間
たとえ天才になれなくても、天職を見つければいい

アートディレクターを目指した学生時代

小さい頃、漫画家に憧れる瞬間がある方は多いかと思います。僕もその一人でした。元々、ドラマや映画、お笑い番組を見るのが好きで、そこから想像をふくらませて漫画のストーリーをつくったり、アイデアを考えて、ノートに漫画を描いたりしていました。描いた漫画を友だちに見せて楽しんでいた時期があり、「自分も漫画家になりたい」と思っていました。でもそれは特別思いが強いわけではなく、軽い憧れ程度のものでした。


その後、高校2年生の時に広告会社の仕事を知りました。プランニングや企画、CMのストーリー作成、デザインなど様々な仕事ができると知り「僕がやりたいのはこれかもしれない」と思ったのです。そして広告の仕事を調べるうちに、広告会社のアートディレクターになるという夢ができました。「アートディレクターになるには、多摩美術大学か武蔵野美術大学にいくべし」と、当時読んでいた本に書いてあり、美大進学のために猛勉強を始めました。


その後、1浪して武蔵野美術大学に入学したのですが、僕はかなり浮いた存在でした。フリーペーパー「PARTNER」を創刊したり、学生団体の代表を務めたりします。当時、美大生が学生団体の代表を務めることは珍しいことでした。僕は、グラフィックデザインのスキルを高めることよりも、自分が考えた企画やアイデアで、人の心を動かす物事をデザインすることに興味を持っていたのです。そのため、武蔵野美術大学に4年間通いましたが、グラフィックデザインのスキルは全く成長しませんでした(笑)。



アートディレクターの「天才」にはなれなかった

就職活動では電通や博報堂、ADKなど大手広告会社を一通り受験しました。他には、企画職として事業会社なども受験しましたが、最終的には東急エージェンシーにアートディレクターとして入社することに決めました。決め手になったのは、美大に進学した理由でもあった「広告会社のアートディレクターになる」という夢をかなえようと考えたからです。


東急エージェンシーで、アートディレクターとしてのキャリアをスタートさせるも、会社から求められるのはグラフィックデザインのスキルだけでした。大学時代にそのスキルを全然身につけなかった僕は、案の定評価がされない日々が続きました。そこで僕は、アートディレクターとして「天才」になれないことに気がついたんです。僕にとってアートディレクターは天職ではなかった。それから、アートディレクターはきっぱりあきらめ、企画やアイデアを考えるプランナーの仕事のほうが向いていると考えるようになりました。そして僕は東急エージェンシーを辞め、面白法人カヤックに転職しました。

「漫画家のかっぴー」になった瞬間

カヤックに転職した時、自己紹介用にギャグ漫画を描いたのですが、それが社内ですごく好評でした。試しにその漫画をWebで公開したら大反響を呼んだのです。それがきっかけで、アートディレクター時代には担当することができなかった大手のクライアントからも、漫画を使った仕事を任されるようになったのです。この時期には、広告漫画の依頼やギャグ漫画の依頼が殺到し、たくさんの作品を世に出しました。これらの作品の制作と並行して『左ききのエレン』の執筆も始めました。当時は、広告漫画やギャグ漫画とテイストが異なることもあり、読者は全然いませんでした。しかし、自分のアートディレクター時代の経験から生まれた『左ききのエレン』という作品を育て、描き上げていくことが僕の使命だと次第に思うようになったのです。


そして、カヤックに入社して1年半が経った頃、会社を辞め、漫画家として独立しました。独立当時は、安定した収入のために広告漫画の仕事をしながら『左ききのエレン』の執筆をしていましたが、独立して2年が経った頃、『左ききのエレン』1本に注力できる漫画家になるため、広告漫画の仕事を減らす宣言をしました。この瞬間に僕はようやく、「広告会社のかっぴー」から「漫画家のかっぴー」になったと思っています。


広告会社でアートディレクターとして仕事をした経験は、今でも僕の糧になっています。この経験がなければ、僕を漫画家にしてくれた『左ききのエレン』を描くことはできなかったと思っています。また、大企業で働いたことで、お金の流れと世の中の流れを知ることができました。世の中を俯瞰(ふかん)する能力を身につけられたことは、独立した今もとても役に立っていますね。大企業に所属し、大きな流れを知るチャンスは新卒のタイミングが一番です。人それぞれ向き、不向きはありますが、一度挑戦してみる価値はあると思います。

たとえ天才になれなくても、天職を見つければいい

僕自身が企業に勤めている時に感じたことでもあり、『左ききのエレン』のテーマの一つでもある、天才と凡人の差。僕はこの2つの間にあるのは、その物事に向いているか、向いていないか。そして運とタイミングだけだと思っています。先述のように、僕はアートディレクターには向いていませんでした。しかし、アートディレクターを辞め、その環境から一歩飛び出し、自分の住む世界を変えてみた結果、漫画家という仕事に運良く出合うことができました。もしも、今の環境で自分はくすぶっていると感じるのなら、勇気を出して環境を変えてみるのも一つの手段ですよ。新しいものとの出合いの機会をつくれば、運良く自分に向いているものに出合えるかもしれません。


また、天才にならなければ幸せになれないのかというと、決してそうではない。社会で生きていくうえで、天才になることはそれほど重要ではないのです。大切なのは、自分が一番働きやすい形を見つけること。それを見つけた人が「勝ち」であるのだと思います。周りの環境なんて関係なくて、自分らしく素の姿でできる仕事こそが天職。たとえ外野に何を言われようが、その仕事が自分に合っているのなら、それを貫けばいいんです。天職を見つけることは、天才になることよりも幸せなことだと、僕は思いますね。

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