先端ではなく普遍なものを身につけるクリエイターの生存戦略/ライゾマティクス 真鍋大度さんの〈クリ活〉

先端ではなく普遍なものを身につけるクリエイターの生存戦略/ライゾマティクス 真鍋大度さんの〈クリ活〉

現在好評発売中の『クリ活2 クリエイターの就活本~デジタルクリエイティブ編』。今回はその紙面から、アーティストでありながら、インタラクションデザイナー/プログラマーとして活動する真鍋大度さんのインタビュー内容を掲載します。

Perfumeのライブの技術演出、サカナクションのライブの映像演出をはじめ、ビョークやスクエアプッシャーなど世界的に活躍するアーティストとのコラボレーションを行う真鍋大度(まなべだいと)さん。今回は真鍋さんに「今の仕事に活きている大学時代に学んだこと」や「ハローワークに通うぐらい苦労した若手時代」、そして「どのようにして世界中のアーティストから注目されるに至ったのか」について伺いました。(マスナビ編集部)

写真:真鍋大度さん
真鍋大度さんライゾマティクス
1976年生まれ。東京理科大学理学部数学科、国際情報科学芸術アカデミー(IAMAS)卒業。2006年にインタラクティブデザインからメディアアート、ライブ演出まで幅広い領域をカバーするライゾマティクスを設立。2015年からR&D(研究開発)的要素の強いプロジェクトを行うライゾマティクスリサーチ(現ライゾマティクス)を石橋素氏と共同主宰。身近な現象や素材を異なる目線で捉え直し、組み合わせることで作品を制作。アナログとデジタル、リアルとバーチャルの関係性・境界線に着目し、活動している。
【 目次 】
ハローワークのお世話に!? やりたいことをやり直す転機と捉えた
海外からの依頼も! YouTubeの登場でビジネスが軌道に乗った
仕事には短距離走、長距離走の2パターンがある
テクノロジーを使ったクリエイティブ領域の魅力と注意点

ハローワークのお世話に!? やりたいことをやり直す転機と捉えた

『クリ活デジタルクリエイティブ編』編集長の大瀧篤さん(以下大瀧):学生時代や就職活動について教えてください。

ライゾマティクス真鍋大度さん(以下真鍋):小学生の時からパソコンが好きで、当時はプログラミング言語BASICを使って絵を描いたりゲームをつくったりしていました。インターネット黎明期の1995年、東京理科大学理学部数学科へ入学。将来のことは特に考えず、数学が得意だったので数学科を選びましたが、当時はどのように応用できるのかわからないまま研究をしていました。一方でプログラムを書く授業もあり、並行して履修していました。

卒業後もプログラミングの仕事がしたいという思いが根底にありましたが、DJバンド活動をしていたことも影響し、まずはゲーム業界に絞って就職活動。しかし、残念ながらどこもご縁はなくメーカーに就職することに。マルチメディア開発部に所属し、システムエンジニアとしてキャリアをスタートしました。担当したのは、防災システムに搭載されたカメラのリモートシステムです。大きなシステムを設計すること自体はやりがいがあって楽しかったのですが、とにかく検証テストが大変…。自分が思い描いていた「マルチメディア」のイメージと違ったこともあり、企画段階から自分のアイデアを出せそうなWeb・デジタルコンテンツ方面に進みたいと思うようになりました。

大瀧:大規模なシステム開発から、デジタルコンテンツの開発へどのようにして移行したのでしょうか?

真鍋:大学の同級生だった千葉秀憲(現フロウプラトウ 代表取締役)が働いていたベンチャー企業に誘われて転職をしたことがきっかけです。新しい会社では、いきなりWebコンテンツの制作ディレクターを任されました。オンラインとリアルスペースをつなげるようなコンテンツの制作をしていたのですが、2000年当時はまだWeb広告のエコシステムが確立していなかったこともあり、マネタイズが非常に難しかった。そして徐々に会社の経営が傾いて、転職後半年くらいでなんとクビになってしまったのです。

大瀧:クビに!? その後どうされたのでしょうか?

真鍋:半年ほどハローワークにお世話になる中で、もう一度やりたいことをやり直す転機だと捉え、岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー(現・情報科学芸術大学院大学、通称IAMAS)で勉強するという選択肢が上がりました。まずは卒業生に会ったり、IAMAS主催のイベントに参加したりして、ひたすら情報収集。当時はSNSで簡単につながれる時代ではなかったので人脈づくりに時間がかかりましたが、知り合いが増えるにつれIAMASに強い憧れを抱くようになりました。当時開発したいと考えていたデジタルDJのシステムについて、IAMASの卒業生に相談したこともありました。ビジュアルプログラミング言語Maxの第一人者で本も出版されている赤松正行先生や、Maxを使ってアルゴリズミックな作曲を手がけた現学長の三輪眞弘先生など、業界の先駆者が多くいたことも決め手となり、入学を決意します。そもそもプログラミングが得意な自分がIAMASで学ぶことによって、もっとすごいことができるのではないか…という野心もありました。

大瀧:IAMASでの経験はいかがでしたか?

真鍋:入学してからは、出される課題に対して作品をつくり提出し、厳しいレビューを受け続ける日々を送りました。自信をなくす日々でしたが今思うと本当に良い課題がたくさん出されていたと思います。例えば、ブロックチェーン技術の根幹をなすPeer to Peerの仕組みを使って音楽作品をつくりなさい、といったものなどです。後は過去の作品をひたすら研究する訓練を受けましたね。とにかくサーベイをやれ、という感じでした。

当時僕が所属していたIAMAS DSPコースは職業訓練校というよりも真の意味でのアーティスト養成学校でした。チュートリアル的な授業はほとんどなく、作品研究・作品制作が中心でした。お題が用意されているクライアントワークとは違い、コンセプトづくりや問題の設定から考えていきます。メーカー時代に手がけたシステムは防災や人の命を守るという目的があり、ベンチャー時代につくったコンテンツはオンラインコンテンツでマネタイズの仕組みをつくるという目的がありました。これまで明確な目的ありきの制作に慣れていたためか、当時はコンセプトを考えることに苦手意識があったように思います。さらにIAMASの教育がことのほか厳しく、「それ、どこが面白いの?」と言われ続け、完全に自信を失ってしまった時期もありました。

自分が今教える側の立場になって感じるのは、その教育の仕方はもったいなかったなということ。頭ごなしに否定するばかりでは、生徒たちの才能が開花するチャンスをつぶしてしまいかねないと思っています。もちろん、大変な思いもたくさんしましたが、ここで学んだからこそ、今の自分があるのは確かです。

海外からの依頼も! YouTubeの登場でビジネスが軌道に乗った

大瀧:ライゾマティクス設立の経緯について教えてください。

真鍋:IAMASを卒業してしばらくはあまり仕事がありませんでした。ある日、IAMAS卒業生で売れっ子エンジニア兼アーティストの石橋素さん(現ライゾマティクス 取締役)の引き継ぎで「東京藝術大学の助手とサーバー管理をやってくれないか」という依頼が舞い込みます。すでにクライアントワークを数多く受注していた石橋さんの仕事を手伝いながら、3年ほど大学の業務をしました。

並行して、2006年にライゾマティクスを設立。最初の頃はショールームなど商業施設に設置する常設コンテンツの制作やVIPが集まるパーティー会場に一時的に設置する演出の仕事がメインでした。例えば、ショールームに設置するためのインタラクティブな映像装置をつくったり、ファッション系のパーティーで来場者が自然な形でアンケートに答えられる仕組みを考えて、開発したりしていましたね。

大瀧:ターニングポイントはありますか?

真鍋:軌道に乗ったきっかけはYouTubeの登場です。すぐにアカウントをつくって作品を発表したところ、見た人から連絡が入り、国内外から仕事がもらえるように。これまで作品集のDVDを配って地道に売り込みしていたことを思うと、この変化には驚きを隠せませんでした。2008年当時、笑顔の検出など画像解析で表情を読み取る技術を搭載したカメラが出始めた頃だったので、自分も顔の表情に着目した作品をつくり始めました。当時、解析技術の精度はあまり高くなかったので可能性を感じたのだと思います。その後紆余曲折して、無理やり笑わせることもできると気づき、低周波刺激で顔の筋肉を制御する「electric stimulus to face」に至ります。コンセプトと技術力が評価され、前述のようにYouTube を通して世界中で広く視聴してもらえました。

その結果、徐々に海外のアーティストとのコラボも増えていきました。特に2008、2009年はMasive AttackやU2などのライブでインタラクティブな演出をやっていた元UVAのJoel Gethin Lewisや、openFrameworksの開発者であるZacharyLiebermanなどと海外のプロジェクトをこなすことで大型ライブ演出の知見を得ることができたのが大きかったです。その後、2010年に演出振付家のMIKIKO先生からPerfumeのドーム公演のお話をいただいて国内でも徐々に認知が高まっていきました。


大瀧:テクノロジーの扱いについて意識していることはありますか?

真鍋:openFrameworksがオープンソースでリリースされたことで、それまで特権的につくっていたインタラクティブな作品が、誰でもつくれる状況になりました。そのため2011年頃にはインタラクティブな作品やコンテンツでは優位性が保てないと判断しました。そこで、すぐに「機械学習(コンピューターにデータを読み込ませ、アルゴリズムに基づいて分析させる手法)に軸足を移したほうがいい」と考え、シフトします。あっという間に技術トレンドがひっくり返る。そんなことが多々あります。常にトレンドをキャッチして新しい技術をスピーディーに取り込んでいくことが大事ですね。実際にここ10年間でインタラクティブ映像制作はキャズム超えして、プログラムを書けなくても制作ができるTouch DesignerやNotchといったツールも普及し、派手でわかりやすいコンテンツが増えていきました。今思い返しても当時の方向転換は正しかったなと思います。コンテンツで勝負せず仕組みやアイデアで勝負する。ここは今でも変わりません。

あとは、ライゾマティクスの創業メンバーの構成について、近いスキルセットの人が集まらなくてよかった、ということです。齋藤精一は建築出身。千葉秀憲は元々はWebエンジニア。石橋素はオールマイティーですがロボティクスやメカニックなどのハードウェア寄り。そして自分はインタラクティブな音・映像・光のソフトウェア系と、守備範囲が見事に分かれています。

仕事には短距離走、長距離走の2パターンがある

大瀧:仕事をする上で心がけていることはなんですか。

真鍋:期間があらかじめ決まっている広告案件は別として、基本的にどんな仕事も年単位のプロジェクトとして長くコラボレーションできるように工夫しています。ビッグネームと組んで1発大きな花火を上げることは話題になりやすいですが、僕たちはその先を目指していますし、相手もそう考えることが多いですね。瞬間的に話題になることばかり考えているとアイデアが蓄積されていかず危険です。長期にわたってどういうことをやっていくか、壮大なプランを実現するために何をすべきかなどを、時間をかけて練っています。これがいわゆる長距離走に例えられる仕事のやり方です。

反対に、短距離走に例えられるのは広告案件で、スパンは大体3カ月程度が目安。その短さが面白さであると同時に、この期間でできてしまうんだ! というすごさを感じます。普段の制作ではリサーチやコンセプト設計、プロトタイピングにかなりの時間を費やしますが、広告案件の場合は課題が朝に送られてきて当日中にバックしないといけないことも(苦笑)。まさに広告は瞬発力勝負の短距離走。時間的にゼロからつくるのは難しいので、今までためてきたものをどう組み合わせるかが肝になります。

いつも短距離走専門の広告業界の人が長距離走にチャレンジすると、ありがたいと思うシチュエーションが多いかなと思います。1つの仕事にかけられる時間が、3カ月から2年ぐらいになるわけですから。逆に、長期の研究開発のスパンに慣れていると、広告のスパンでモノづくりするのはリスクが大きい、と考える人が大半だと思います。でも僕は、短距離・長距離ともに面白さがあると感じています。

大瀧:短距離と長距離の仕事をどのようにバランスを取っていますか?

真鍋:自分としては、短い瞬発力で乗り切る仕事も好きです。ハッカソン的に取り組むスタンスです。ただし、ずっとそれだけだと積み重ねがなくなってしまいます。逆に、長期の仕事だけだと新しいアイデアをサクッと試すようなことができなくなってしまうのでバランスを取ることが大事かなと思います。DJやVJみたいに反射神経を必要とするようなパフォーマンスもしつつ、様々なスケール感のプロジェクトを行うのはクリエイティブの力を鍛えられると思います。あとは違う分野の専門家、例えば脳科学者や天文学者とコラボレーションすることで視野を広げるようなこともやります。新たな気づきを得られることが多々ありますね。

最近は新しいことをやってほしいというオファーが増えてきています。完成品がどれぐらいのものになるかわからない状況で「一緒にリスクを持ってチャレンジしよう」と言ってくれるクライアントもいてうれしい限りです。しかし、「事前に中身を詳細に示してほしい」というクライアントも中にはいます。仕事上、最先端のテクノロジーを使っていることもあって理解してもらいにくい面があるため、クライアント向けのワークショップを開催するなどして理解を深めてもらう努力をしています。また、開発の過程はブラックボックスにせず全部見てもらうようにもしています。クライアントと“あうんの呼吸”の関係を目指し、スピード感を持って仕事を進めていきたいと考えているからです。

テクノロジーを使ったクリエイティブ領域の魅力と注意点

大瀧:テクノロジーを使った表現がしたいクリエイターを目指す学生へメッセージをお願いします。

真鍋:常に新しい課題が出続け、それに対する解決方法が続々と生まれている点は魅力的です。変わり続ける新しい価値観を体験し続けられるのは、刺激的で面白い。「こんなことが数年後にできたらいいな」と頭の中で考えたことは、テクノロジーの進化で実際に実現できてしまうことが多いのです。GPSの精度が、5年前はメートル単位だったものがセンチ単位になって表現の幅が広がったこともあります。

大学時代に小手先のプログラミングだけやっていたら、おそらくここまで色々なことにチャレンジできなかったかなと思います。めちゃくちゃ大変でしたが数学をやっていたことが今につながっていると感じることが多いですね。当時の自分には想像できませんでしたが、今でも数学の教科書を使って復習することもあるほど、機械学習など今の仕事に数学がものすごく活きているのです。数学は古びない。最先端のテクノロジーは日々増えていくけど、数学は普遍で変わりません。数学がDJやバンドと組み合わさって、自然と今の仕事になっていきました。熱中して学んできたものがあれば、いずれそういった仕事になると読者の皆さんに伝えたいです。

大瀧:確かに数学はテクノロジーの根幹にあるので、古びない知識ですね。

真鍋:いくつになっても自分自身が古びないように意識して、いい仕事を続けていきたい。そのためには、これから挙げる二つのことが大切だと感じています。一つは、新人として活動できるエリアを持っておくことです。自分は海外だと完全に新人扱い。欧米で積極的に作品を発表しています。歳を重ねると自然と偉くなりがちですが、大御所にならないように気を付けています。

もう一つは、時間管理をしっかり意識すること。今学んでいる技術は果たして将来使えるのか? 古びない技術なのか? どこに時間を費やすかを計画的に考えないと、あっという間に歳を取り、打ち合わせスキルと人脈だけのおじさんになってしまいます。自分は特定のプログラミング言語を極めるのではなく、色々なテクノロジーの表層部分を学ぶことを意識しています。それがどんな仕事にも対応できる自分なりの生存戦略です。

あとは、専門スキルももちろん大事ですが、技術をプロジェクトでどう活かすか、コラボレーション案件でどう最大限発揮できるか。自分と向き合うのではなく、コラボレーターと向き合う意識も大事です。

将来一緒に仕事をする広告業界を目指す学生に伝えたいこと。それは、制作におけるプロセスや役割を分けすぎないでほしい、ということです。企画とテクノロジーの実装の担当を完全に分けてしまうと、テックの面白さやスペックをフルに活かせません。早い段階でプログラマーが企画の根本から関わって仲間と意見を交わしたほうが、本当に良いものがつくれるはずだと確信しています。現状は短期スパンに合わせて制作体制が最適化されてしまっていますが、もう少し入り混じれる余白があるとうれしいですね。

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