偶然の出会いが自分の可能性を広げる/もり 代表/クリエイティブディレクター 原野守弘さんの〈クリ活〉

偶然の出会いが自分の可能性を広げる/もり 代表/クリエイティブディレクター 原野守弘さんの〈クリ活〉

現在好評発売中の『クリ活2 クリエイターの就活本~プランニング・コピーライティング編』。発刊を記念して、青山ブックセンター本店にて、もり 代表/クリエイティブディレクターの原野守弘(はらのもりひろ)さんをお呼びした公開インタビューイベントが実施されました。聞き手はクリ活~プランニング・コピーライティング編~編集長の尾上永晃さん。

34歳までメディアセールスだった原野さんがクリエイターへキャリアチェンジするまでのクリ活をお聞きしました。ところがイベント当日にはクリエイター志望者のみならず、誰もが参考になるキャリアの築き方を教えていただきました。今回はイベントの様子の一部をお届けします。(マスナビ編集部)

写真:原野守弘
原野守弘株式会社もり 代表/クリエイティブディレクター
電通、ドリル、PARTYを経て、2012年11月、株式会社もりを設立、代表に就任。「NTTドコモ: 森の木琴」「OK Go: I Won’t Let You Down」「Honda. Great Journey.」「POLA リクルートフォーラム」「日本は、義理チョコをやめよう。GODIVA」などを手がける。TED: Ads Worth Spreading、MTV Video Music Awards、D&AD Yellow Pencil、カンヌ国際広告祭 金賞、One Show 金賞、Spikes Asia グランプリ、AdFest グランプリ、ACC グランプリ、グッドデザイン賞 金賞、Penクリエイターアワード2017など、内外で受賞多数。2021年1月、『ビジネスパーソンのためのクリエイティブ入門』(クロスメディア・パブリッシング)を上梓。
【 目次 】
ブレない軸より柔軟な心
クリ活の道が閉ざされたときに柔軟な発想で

ブレない軸より柔軟な心

『クリ活プランニング・コピーライティング編』編集長の尾上永晃さん(以下尾上):率直に、就職活動で大事なことを教えてください。

もり原野さん(以下原野):そもそもキャリア形成の考え方として、キャリアアンカー理論という理論があります。これはアンカー(いかり)のように動かない価値観を軸にキャリアを積み上げる考え方。しかし変化の激しい今の時代に即していません。

新型コロナウイルスで生活スタイルが変化したり、テクノロジーが進化して仕事が変わったりと、変化の波に取り残されないためには、偶然の出来事を活かしていくことが大事です。それに呼応する理論がプランド・ハップンスタンス(計画的偶発性理論)です。偶然の出会いや出来事をチャンスとして捉える。計画外のものだとしても、むしろそれを受け入れ自分のキャリアに良い影響を与える出来事へと昇華していく。このような思考が変化の激しいこれからを生きる上で大切です。



尾上:計画外の出来事を活かすにはどうすればいいのでしょうか?

原野:強い好奇心を持つことが重要です。僕の実体験を通してお伝えします。今の自分を形成している偶然の出会いはたくさんありますが、その中で3つ紹介したいと思います。

1つ目は、子どもの頃に買ってもらった学研の『学習こども百科事典』との出会い。2~6歳に“なぜなぜ期”という、とにかく周囲の出来事やモノに対して、なんでも「なぜ?」と繰り返す時期があります。僕の「なぜ?」に対して、両親は百科事典を買って応えてくれました。そのおかげで「なぜ?」と思ったら答えを探し出す習慣が身についたのです。好奇心が育まれる重要な出会いだったと思います。

2つ目は、小学5年生の時に東京観光で訪れた上野の国立科学博物館にあったマイコン(マイクロコンピュータの略。現在のパソコンの前身)との出会いです。子どもながらに「これが世界を変える!」とピンと来たのです。そして運の良いことに博物館のあとに東京の親戚のおじさんの家に泊まったら、その家にもマイコンが…。地元静岡に帰ってからも、おじさんにマイコンで動くプログラミングを文通で教えてもらいました。本好きだったのでマイコン入門本も読み漁りましたね。マイコンやプログラミングとの出会いは後の仕事にも影響を与えるものでした。

3つ目はビートルズ。中学生のときに初めて聞きましたが、衝撃的でした。ビートルズの解説本は穴が空くほど読みました。なぜ惹かれたのか? ビートルズが発明家だったからです。人気ミュージシャンにとどまらず新たな音楽のジャンルを生み出すチャレンジをしていました。実は今の仕事の広告も発明だと思っています。新しい価値観を世に問い続ける。ビートルズとやっていることは変わりません。そう考えると、仕事が非常に楽しくなりました。

尾上:計画外の出来事も人生の糧としているのですね。ちなみに電通に入社してからはどのような出来事がありましたか?

原野:入社当初は、海外業務局で海外の専門誌の広告を扱う媒体業務でつらかったです。みんなが日本で見聞きするような仕事をしたかった。英語の学会誌やアラビア語の専門誌などばかりで、自分の興味との接点がまるでありませんでした。

しかしここでも偶然の出来事がありました。ある日、コンピュータ専門誌の掲載面をチェックしていた時に、反対側のページに「アメリカでインターネット広告が始まった」という記事を見つけたのです。マイコンを初めて見たときと同様に「これが世界を変える!」と思いました。たまたま、会社の寮の隣室の先輩がインターネットに詳しく、いろいろレクチャーしてくれていたので、僕はメールアドレスを持っていました。そのメールアドレスを使って、米Yahoo!などに「インターネット広告のことを教えてほしい」と問い合わせたのです。各社からすぐに返信があって、それを取りまとめた資料をつくりました。それを、電通内のインターネット好きが集まるコミュニティに共有していたら、いつのまにか「電通内で一番インターネット広告に詳しい人」になってしまったのです。

間を置かずして「インターネット広告の会社をつくりたい」とソフトバンクの孫正義さんから電通に相談がありました。米Yahoo!と合弁で日本にヤフーを設立して「Yahoo JAPAN!」を始めるからと。当時、電通の中にインターネット広告のことを知っている人はほとんどいなかったので、新会社設立の電通側の担当として僕に白羽の矢が立ったのです。それで孫さんにいろいろ教えてもらいながら立ち上げたのが、サイバー・コミュニケーションズ(CCI)という会社です。入社2年目のことです。

普通の会社員はこんなこと経験できないですよね。海外業務局への配属が偶然なら、インターネット広告に関する記事を見つけたのも偶然。その記事が1ページでもずれていたら知らないまま。でも、見つけた。こういった偶然をただの出来事として終わらせるのではなくて、情報を教えてとメールしたり、集めた情報をコミュニティに共有したりと行動に移してきたからこそ、チャンスをつかめましたのかな、と今では思います。



クリ活の道が閉ざされたときに柔軟な発想で

尾上:偶然を通り過ぎないのが大事ですね。ちなみに今回はクリ活(クリエイターの就活)としてインタビューしております。原野さんは元々営業だったかと思いますが、どうやってクリエイティブ職に就いたのでしょうか?

原野:長らくインターネット広告のセールスでした。満足していたのですが、ひょんなことからクリエイティブ職に興味を持つようになります。自分よりも年次の若いプランナーの権八さんがクリエイター専門誌で特集され、まるでタレントのような扱いだったのです。嫉妬と羨望からクリエイティブ職を目指しましたが、時すでに遅し。クリエイティブへの転局試験は年齢制限に引っかかっていました。さあどうしよう、と。当時上司だった杉山恒太郎さんに相談しました。「クリエイティブに移りたいんですけど、年齢制限が…」と。そうしたら「君は会社をつくるのが得意なんだから、クリエイティブの会社をつくってしまえばいいじゃない?」と。冗談だったかもしれませんが、それを間に受けました。そうして立ち上げたのがドリルです。その会社に出向してから、僕のクリエイター人生がスタートしています。

尾上:ルールを外すのがうまいですね。そういったクリ活も面白いです。最後に学生へメッセージをお願いします。

原野:冒頭でも話しましたが、外的要因によってプラン通りにいかないことは人生多々あります。それは今後も変わらないでしょう。でも偶然の出来事を受け入れる準備をすることで変化の波にうまく乗ることができます。もちろん偶然の出来事の中には良いものもあれば悪いものもあります。でも悪い出来事を良い出来事に変えるための行動が大事です。計画通りではないからこそ、僕の可能性は広がってきました。就職活動は大切ですが、失敗したとしても、そこから新しい可能性が広がると考えるべきです。皆さんも偶然の出来事を活かして、素晴らしいキャリアを歩んでください。

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