テレビ局が街づくり!? セットデザイナーの広がるキャリア/TBSテレビ 増田隼人さん

テレビ局が街づくり!? セットデザイナーの広がるキャリア/TBSテレビ 増田隼人さん

最終回42.2%の視聴率を弾き出した驚異のドラマ『半沢直樹』や芸能人が提案した企画や「説」を検証し毎回話題となる人気バラエティ『水曜日のダウンタウン』など、数々の人気番組を製作・放送するTBSテレビ。今回は、「テレビ局なはずのTBSが街づくりを手掛けている!?」と噂を聞きつけ、さっそく「赤坂エンタテインメント・シティ計画」のチームリーダーである増田隼人さんにインタビューを行いました。テレビ局が進める街づくりとはどういったものなのか、どのような未来を見据えているのか、お聞きしました。(マスナビ編集部)

写真:増田隼人さん
増田隼人さん株式会社TBSテレビ
建築学部出身。就活時はセットデザイナーを志望するも、入社年時にはデザイン職採用がなく、技術職で入社。入社後、CG部門でオンエアグラフィックス等を担当。数年後にデザインセンターに異動し、プロダクションデザイナーとして、ドラマのセットデザインを担当。現在は、赤坂エンタテイメント計画を主軸になって推進している。
【 目次 】
赤坂エンタテインメント・シティ計画とは
「空間体験」に目覚めた学生時代
テレビ局はいまが面白い

赤坂エンタテインメント・シティ計画とは

─現在のお仕事について教えてください。
現在は、「赤坂エンタテインメント・シティ計画」のチームリーダーを担当しています。この計画は赤坂に新たなエンターテインメントを体験・発信できる施設を拡充し、最高の”時”を届ける街にすることを目指したプロジェクトです。具体的には主に赤坂駅直結の複合ビルの建築計画と、TBSを中心としたエリア全体のブランディングと中長期計画を考えていく業務をしています。

TBSは、すべての生活者に向けた番組コンテンツや情報を毎日発信し続けていて、常に生活者目線で考えることがTBSの根柢にあるモノづくりのマインドだと思います。そんなテレビ局であるTBSが赤坂というリアルな街づくりに参加する。自社の特徴と強みを活かして、TBSにしかできないアプローチで、生活者や来街者の皆様に感動と喜びを感じていただけるように、赤坂の街にさらなる賑わいを創っていけたらと考えています。

「空間体験」に目覚めた学生時代

どのような学生時代を過ごしていましたか?
大学では建築を学んでいました。入学当初、建築は、「部屋のレイアウトをどうするのか」や「柱や配管をどのように配置するべきか」などを考えるような固いイメージでしたが、大学1年生の冬に、スペインのビルバオ・グッゲンハイム美術館を見て、建築の持つパワーに衝撃を受け、それまでの考え方が覆されました。圧倒的なスケール感や見た目のインパクトはもちろんのこと、なかに入って手をたたいた時の音が空間に飛んでいくような不思議な感覚、アート作品に入ったかのような高揚感など、「空間体験」を通じて感動をしたのは初めてでした。それまで建築物は人が住んだり、働いたりする合理性が求められる空間だと思っていたのですが、建物がまるで表現物かのように感じました。法規制や耐震性といった制約を超越し、「建築ってここまでやっていいのか…」と目からうろこだった覚えがあります。

それからは大学で課題をこなすだけでなく、自分自身で何か人の心に訴えかける空間体験を創りたい、と思うようになりました。学生団体やサークルに参加して、インスタレーション制作やイベントを通してさまざまな体験空間をつくっていました。

就職活動について教えてください
建築学部のOBOGは、デベロッパーやハウスメーカーなどの建築関係会社に入社する人が多いかと思います。ただ僕は、街づくりよりも空間づくりをしたいと考えていました。建築を「機能」というよりも「空間体験」で捉える部分に興味を抱いていましたし、ずっと残り続けるものよりも、どんどんと新しいものを生み出す方が楽しいと思っていたからです。志望業界は商業空間をプロデュースする空間ディスプレイ業界でした。

ただ、学部時代の就職活動では第一希望の会社から内定は出ず。大学院ではその企業でアルバイトさせていただいたり、自ら体当たり営業で店舗改装の実施設計・施工を受注して経験を積んだりして、新卒採用に再チャレンジしたもののまた落ちてしまった。このさきどうしよう…と思い悩んでいました。

そんなときに、大学のゼミでテレビドラマの話題になり、ふと考えてみたのです。テレビの奥にある世界も誰かがデザインしている空間表現だなと。その空間の自由さと、半分フィクションのようでリアルな空間づくりの面白さを感じ、テレビ局も受けてみようと決めました。ただ、大学院2年の4月ぐらいでテレビ局の選考はほとんど終わっていて…。たまたまTBSで、照明や音響などを担う技術職の募集があったので、ダメ元で出してみたら受かった、というのが入社の経緯です。

セットデザインなどをする美術職ではなく技術職の採用試験でしたが、ポートフォリオは持参しました。自分の「人となり」と「デザインの好み」がわかるように意識をしていましたね。TBSには自分が手掛けてきた幅広いスケールのデザイン作品を通じて、多角的にモノやコトに向き合ってきたことを伝えたくて、グラフィックやプロダクトから、インスタレーションのような抽象空間、インテリア、住宅、ビル、街そしてテレビへとスケールを広げていく様をページサイズに対比させてポートフォリオにまとめました。最初のページはハガキサイズですが、ページをめくるにつれて紙が大きくなり、最終的にはA0サイズ以上にまでなるアコーディオンみたいな体裁でした。ただ運搬のことを考えておらず、大きさと重さがとんでもなくなり、板のような巨大ポートフォリオを担ぐ姿を面接官に笑われた記憶があります。今となっては、馬力はあるけど不器用な僕の「人となり」としていい意味で届いたのかなと前向きに捉えています。

TBSにはそのようなポートフォリオでしたが、他に受けた会社に対してポートフォリオの見せ方をすべて変えて一からつくっていました。それは、ポートフォリオを「自分のやってきた成果」としてではなく「自分とその会社の接点」として見てほしかったからです。そのポートフォリオを通じて、自分自身がその会社をどのように見ていて、自分の感性や考え方とどのようなところに合うと感じたのかが一目でわかるようにして、限られた時間の中で濃厚な会話をしたかったのです。逆にポートフォリオをつくる気になれない会社は心から志望していないから受けないというのは決めていました。

テレビ局はいまが面白い

──入社後はどういった仕事をされていますか?
最初に配属されたのはCG部でした。映像に情報を補足するためのテロップや説明CGや、ドラマで雨や爆発などのエフェクトを合成したりする部署で、ずっとパソコンとにらめっこをする日々が続きました。周りに先輩もいましたが、まずはとにかく自分で調べて、トライしてみて、と試行錯誤を繰り返して、さまざまなCGスキルを身につけました。また、映像業界の画の構図や画面構成の基礎などを学ぶことができ、後々の美術セットのデザインの仕事に役立ちましたね。

その後、組織改編によりCG部がデザイン部と統合となり、デザインセンターに異動となりました。業務としても念願の美術セットをつくる仕事につくことができました。美術デザイナーの仕事は、台本や企画書をベースに登場人物のキャラクターや背景を空間やインテリアに落とし込み、ストーリーに説得力を持たせいく作業だと思っています。意外とロジカルな部分も多く、制限があるなかで最適解を見つけてモノづくりをするのは、どこか建築にも似ています。日当たりや立地条件から最適な建築物を考えていくのと、思考回路は一緒かもしれません。

近年のデザインセンターでは番組セットのデザインのみならず、企業ロゴのリデザインをはじめ、会社全体のブランディングや新規事業案件にも積極的に取り組んでいます。赤坂エンタテインメント・シティ計画もその事業拡張の一つとも言えます。


──最後に学生の皆さんへメッセージをお願いします。

あらゆるデバイスやネットワークなどの技術革新により、テレビのあり方も、テレビ局の存在意義も問われる時代を迎えています。これまでテレビ局のなかでのデザインといえば、番組セットの制作が中心でした。そうした状況から、番組セットだけではなく、リアルの場づくりや街づくりにまでデザインの力が求められています。あらゆるクリエイティブの可能性があるのが今のテレビ局だと考えています。

TBSも最近は全社的にチャレンジする人を応援する気風ができてきています。マスメディアとしてのリーチ力を持ちながら、コンテンツを軸にいろいろなビジネスを展開していこうとする風潮は、個人的には非常に面白いと思っています。

テレビ、またはテレビの枠も超えて、多くの人に何かを届けたい、社会的インパクトを与えたい、新しいチャレンジをしてみたい、という方には意外と「テレビ局」という選択も面白いかもしれません。

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