自分自身への証明に挑戦する/メトロアドエージェンシー 鈴木惇朗さん〈Fresh Eye〉

自分自身への証明に挑戦する/メトロアドエージェンシー 鈴木惇朗さん〈Fresh Eye〉

広告業界や広告・コミュニケーションについて、業界で働く若手の皆さんはどのように感じているのか? 会社に入って感じたこと、日々の仕事で思うこと、これからの想いなど。実際に現場で働いている先輩方の新鮮な視点をお届けする「Fresh Eye」。

今回はメトロアドエージェンシー 鈴木惇朗さんの視点をご紹介。現代の広告は広告主と生活者をつなぐことができているのか…。広告の本来の役割について改めて考えます。(以下、JAAA REPORTS「Fresh Eye」より転載)

写真:鈴木惇朗さん
鈴木惇朗さん株式会社メトロアドエージェンシー 媒体本部 媒体戦略局 戦略企画部
【 目次 】
自分自身への証明に挑戦する
JAAA REPORTS「Fresh Eye」

自分自身への証明に挑戦する

広告とは広告主と生活者をつなぐ手段である。


これはこの業界に足を踏み入れたばかりの私が強く影響を受けた言葉である。この言葉に対して言うまでもなく当たり前だと思う人はたくさんいることだろう。しかし、広告業界のことはおろか社会全体のことをなめ切っていた当時の私にとって、初めて広告の意味・役割が言語化された瞬間であり、同時にその奥深さに圧倒された感覚を鮮明に覚えている。この言葉を受けた瞬間から私の中での広告の「定義」は他でもなくこの言葉であり、広告業界に身を置いて4年目となった現在でも自分の指針としている。


一方、広告業界の企業人として歴を重ねてきた今日この頃、この定義と実態に乖離が発生しているのではないか、という疑問を抱くようになってきた。本文での「広告会社」とは、広告制作を専門とする制作会社や、私も所属する広告メディアの媒体社などの業態も含めた、広義で広告機能を有する企業の総称とする。


広告会社にとって、広告主が保有する広告宣伝費が最終的な利益となるため、直接的に、あるいは間接的にでもクライアントは間違いなく広告主と言える。クライアントニーズを第一に考えた提案を行い、要望に沿った広告物を制作し掲出するまでを広告会社が遂行することは至極真っ当なことであるが、広告主にフォーカスするあまり、「生活者の視点」を忘れてしまっているような状況が、些か発生していると感じる。生活者に対しては広告をただ表示させればいい、ただインパクトを与えられればいい、ただサイトに遷移させればいいなど、生活者への配慮に欠ける広告を生み出す実態が散見される。そのような中でアドブロックやCMスキップ機能といった、生活者が広告を避けられるサービスも普及を見せており、広告は徐々に「広告主と生活者をつなぐ手段」から、「広告主の一方的な発信手段」となってしまっている気がしてならない。


もちろん所詮理想論を語っている自覚はあるが、広告を「広告主と生活者をつなぐ手段」とできるかは、その手段の行使を生業とする広告会社にかかっていると強く思う。そのような中、現在私は幸運にも新たなOOHメディアの開発に携われる立場に居る。実現することは口で言うほど容易ではないが、広告主も満足させ、そして生活者も楽しめるようなメディアの開発に挑戦したい。今はそんなことを考えている。「広告主と生活者をつなぐ手段」という広告の定義を、他の誰にでもなく自分自身へ証明するために。

JAAA REPORTS「Fresh Eye」

広告会社が集まり、広告を考え、広告を育てるために生まれたJAAA(日本広告業協会)。1950年の発足以来、日本の広告業界を代表する組織です。同協会が、協会の活動や研究内容を共有する機関誌『JAAA REPORTS』では、若手の業界人が日々感じていることを綴るコラム「Fresh Eye」を連載中です。


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